時代を超えた出来事が交わる大野原の秋祭り

舞い上がる砂ぼこりのなか、ダンジリ(山車)が坂道を駆け上がる。頂上に達すると、集まった大勢の観客の拍手が起こる。

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(ダンジリ)


大野原(おおのはら 香川県観音寺市)の秋祭りには2台のダンジリと14台のチョウサが出る。

ダンジリとは破風屋根を持ち、下部に車輪が着く山車である。胴部に刺繍の入った幕を周し、背面には2基の太鼓を備える。2台のダンジリは八兵と下杉林にある。八兵のダンジリは「山車」、下杉林のものは「花車」と表記される*1

チョウサは太鼓台と呼ばれる山車で、2本の長いかき棒を介して数十人で支えられる。

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(平塚の周囲に待機するチョウサ)

 

大野原八幡神社の御旅所である平塚(ひらづか)では、ダンジリ1台とチョウサ1台が順に頂上に登る。秋祭りの盛り上がる場面のひとつである。

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(平塚に登る八兵のダンジリ) 

 

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(平塚頂上で円陣を組む)

 

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(ダンジリが降りてくると、チョウサが平塚に登る) 

 

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ダンジリには口説(くどき)があり、八兵は毎年歌詞が変わる。一方、下杉林の口説はほぼ毎年「平田与一左衛門正重」であるという。その内容は、近江出身の平田与一左衛門正重が、池を築き、大野原を拓いたというものである。

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 (下杉林のダンジリ)

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(「平田与一左衛門正重」の口説。ダンジリの前面に歌詞を掲げる)


平田与一左衛門は、1645年(正保元)、荒野だった大野原の開墾に着手する。その際、精神的な拠りどころとして大野原八幡神社の社殿を建てた*2

大野原八幡神社の本殿は、6世紀後葉に築かれた椀貸塚古墳の前面にある。御旅所の平塚も7世紀前半構築の平塚古墳である。

大野原に入植した平田与一左衛門と一族にとって、約1000年間この地にあり続けた巨大な古墳の墳丘は、象徴的な意味を与えるにふさわしい構造物だったのだろう。

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 (大野原八幡神社本殿裏の林が椀貸塚古墳

 

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(開口する椀貸塚古墳の横穴式石室)

 

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 (御旅所となっている平塚古墳

 

21世紀の現在、秋祭りには7世紀の平塚古墳にダンジリとチョウサが登り、ダンジリの口説には17世紀の出来事が盛り込まれる。

年に一度、時代を超えた出来事が交わるのが大野原の秋祭りなのである。

 

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*1:久保田昇三 2008「大野原八幡神社の秋祭り」香川県教育委員会編『香川県の祭り・行事 ー香川県祭り・行事調査報告書ー』

*2:御厨義道 2005「大野原の誕生」新修大野原町誌編さん委員会編『新修大野原町誌』