喜兵衛島の製塩

砂浜を歩くと薄いビスケットのようなかけらが目に入る。

直島(なおしま)諸島の無人島、喜兵衛島(きへいじま)の浜に落ちているのは6〜7世紀(古墳〜飛鳥時代)の製塩土器の破片だ。

塩土器とは塩づくりに使う土器のこと。

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西日本では紀元前1世紀(弥生時代)に土器を使った塩づくりが始まり、10世紀ころ(平安時代)まで続けられた。

その手順は次のとおり。

 

まず、塩分の付着した海藻を天日で乾燥させ、焼いて灰にする。

その灰に海水を注ぎ、布でこすと濃度の高い海水になる。

濃くなった海水を小さなコップのような製塩土器に入れて、火にかける。

土器の中の海水が煮つまって水分がなくなると、上から海水を足してさらに煮つめる。

この作業を何度か繰り返すと、土器の底に白い塩の結晶ができあがる。

塩分をふくんでもろくなった製塩土器は再利用できないため浜に捨てられる。

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(土器を使った弥生時代の製塩 画:Kさん)

 

喜兵衛島の浜に残るおびただしい量の製塩土器の破片は、塩を取り出した後に廃棄されたものだ。

そして、6~7世紀に行われていた大々的な塩づくりの証拠でもある。

 

当時、製塩が行われていたのは天候に恵まれた春から秋にかけてだろう。

また、この島で作業にあたっていたのは10~20人程度とみられる。

面積0.2平方キロメートルと必ずしも広くないうえに、浜と山しかない喜兵衛島でこの人たちが日常生活を営んでいたとは考えにくい。

近くの児島(こじま ※)や直島などに生活拠点があり、そこから作業のたびに訪れていたのかもしれない。

 

喜兵衛島は今でこそ静かな無人島だが、浜に人々が集まり、塩づくりに明け暮れた時代もある。

この島ではシーズンになると日々、煙が立ちのぼる製塩の風景が見られたことだろう。 

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※埋め立て以前の島としての児島。現在の岡山県倉敷市・玉野市の一部。

岩本正二・大久保徹也 2007『備讃瀬戸の土器製塩』吉備人出版

近藤義郎編 1999『喜兵衛島―師楽式土器製塩遺跡群の研究―』 『喜兵衛島』刊行会


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