江戸時代に賞賛された小豆島、隼山からの眺め

 「山水の美観言語に絶せり。されば当山の勝地なることは、遠近に聞へて其名高し。」

江戸末期に編まれた「小豆島名所図会(しょうどしまめいしょずえ)」に、言葉で言い表せないほど美しく有名、と解説されている隼山(はやぶさやま)からの眺め。

解説文のそばに描かれた絵は現在の景観と瓜二つだ。

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 f:id:norimatsu4:20130526231219j:plain(上:現在の隼山からの眺め 下:「小豆島名所図会」に描かれた江戸末期の眺め)

 

「小豆島名所図会」には海を望む景観をパノラマのように描いている箇所がいくつかある。それぞれの場所とその説明文を記してみよう。

・隼山―山水の美観言語に絶せり。されば当山の勝地なることは、遠近に聞へて其名高し。

・風穴権現社―景勝絶景にして美観なり。

・大麻山清滝寺―(景観にかんする説明文はない)

・花陰亭―風景殊に絶勝なり。

・海雲寺―海上の眺望奇観。

・松濤庵―海上の眺望勝景なり。

景観の表現を比べると、隼山からの眺めは小豆島内でも評価の高い部類に入ると言えるだろう。

 

また、天保10年(1839)、地元の坂手(さかて)の住人3名が隼山に桜を植えた(「坂手村志稿」※1)。

「小豆島名所図会」には「殊更晩春の頃は、階下の桜花爛漫たる光景また類なし。」とあり、隼山は眺望とともに桜の名所でもあった(※2)。

 

ところが、これほどの評価を受けたにもかかわらず、隼山の眺望はその後さほど関心を払われていない。

たとえば、昭和初期に建てられた「讃岐十景(※3)」の石碑は隼山から山道を数百m北へ行った場所にあり、碑には「坂手洞雲山(どううんざん)」とある。

洞雲山には同時期に大阪旅行クラブ(※4)が建てた石碑もあり、昭和初期には隼山よりも隣接する洞雲山が重視され、観光地として認識されていたようだ。

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隼山と洞雲山の関係には、名所や観光地に対する意識の変化があらわれているのだろう。

ただ、江戸時代に賞賛された景観が現在でも変わらないのであれば、隼山からの眺めは今一度見直されてもいいように思う。

  

※1 坂手村(現香川県小豆島町)の沿革や地理、産業などをまとめたもの。刊行はされていない。明治45年(1912)までのデータを掲載しているため、最終編集はその数年後か。

※2 さらに明治45年(1912)には苗羽村(のうまむら 現香川県小豆島町)の木下忠次郎が2,000本の桜を植樹、戦後しばらくまで隼山は花見の場でもあったらしい。ただ、現在残っている桜は多くなさそうだ。

※3 昭和2年(1927)、香川新報(四国新聞の前身)紙上で投票によって選ばれた香川県内10の観光地。選地には石碑が建てられている。新さぬき百景 - Wikipedia

※4 昭和初期にあった大阪を中心とした旅行組織か。各地に石碑を建てている。

 


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