小豆島、坂手の龍とイワシ漁

小豆島(しょうどしま)の洞雲山(どううんざん)に岩場を削ってつくられた階段がある。

大人一人が歩ける程度の幅しかない階段を登ると、岩の割れ目に置かれた小さな社が見えてくる。

ここに祀られているのが八大龍王だ。

八大龍王とは釈迦の説法を聞いた8体の龍王を指すが、信仰対象としては龍や龍神信仰の一形態ととらえられる場合が多い。

 

ここになぜ、龍が祀られているのか。

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(洞雲山に祀られている八大龍王)
 
洞雲山のふもとにある坂手(さかて)は、海に面した緩い斜面にある。
この集落は江戸時代以降、漁業とともに歩んできた。
海に囲まれた小豆島は比較的漁業の盛んな地域だが、坂手は、特に大正期に小豆島でもっとも漁獲高をあげていた。
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(1921年発行の『小豆郡誌』掲載データをもとに作成)
 
大正から昭和前半期にかけて、坂手では鰯網(いわしあみ)をいくつももち(昭和初期には6~7帖)イワシ漁を行っていた。
上記グラフにおける坂手の漁獲高はイワシによるところが大きいとみられる。
 
集落の少し上に坂手湾を見下ろすことのできる高台がある。
かつては、この高台にやぐらを組み、朝と夕方にやぐらの上から湾を見張った。
イワシの魚群が湾内に入ってくると、ほら貝を吹いて集落中に知らせた。
その合図があると畑仕事などの手を止めて、男性はわれ先にと船に乗り込んだ。
イワシ漁が早いもの勝ちだったからである。
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(やぐらを組み、魚群を見張った高台からの眺め) 
 
男性たちが乗り込んだ船は、2隻で網の両端をひいて張り、網で魚群を取り囲んだ。
魚群を包囲できると、網を張ったまま陸地まで戻り、網の両端を陸地にあるロクロに結び付けた。
船に乗れない若い少年などがロクロを回して網を巻き上げ、網の中央に設けられたポケットのような箇所にイワシを追い込んだ。
そしてそのポケットに入ったイワシを獲って陸地にあげた。
陸上では獲ったイワシをすぐに煮沸し、海岸際に広げたムシロの上で干してイリコ(煮干し)に加工した。
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(昭和27年〔1952〕製造のイワシ漁の船 愛媛県伊予市
 
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(明治初期の愛媛・香川県〔※1〕のイワシ漁 右上に高台から合図を送る人がいる 「漁業旧慣調」〔愛媛県立図書館蔵〕)
 
このイワシ漁に携わっていた人たちが洞雲山の八大竜王を祀っていたという。
龍は海や水と結びついており、坂手では海を生業の場とする漁師の信仰を集めたのだろう。
 
この八大龍王がいつから祀られているのかはわからない。
明治~大正期の社寺を集めた記録に登場しないことからすると、昭和初期あたりに勧請(別の神社から分霊して移してくること)してきた可能性がある。
当時の坂手を支えていたイワシ漁の関係者が勧請にかかわったのだろうか。
 
なお、坂手湾で行われたイワシ漁も昭和30年代を境に見られなくなった。
船の動力の機械化が進み、沖合での漁が主となったため、湾内でイワシ漁をすることがなくなったのである。
 
現在、八大龍王が坂手の漁師の信仰を集めていたことはほとんど知られていない。
イワシ漁の衰退が背景にあるのかもしれない。
 
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(洞雲山から見る坂手) 

f:id:norimatsu4:20130803144749j:plain(坂手港の建物に描かれた洞雲山と龍)

 
※1 「漁業旧慣調」は明治8~11年(1875~1878)の愛媛県の漁業を調査したもの。香川県は明治9~ 21年まで愛媛県に編入されていたため、この資料は現在の愛媛・香川両県を対象としている。
 


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