高知のカツオ漁はいつから?
古来、カツオは高知の名産である。
平安時代の百科事典「延喜式(えんぎしき)」(10世紀)には、各地から納める税の品目が列挙されており、土佐(高知)の項には「堅魚」の文字が見える。「堅魚」とはカツオのことである。
当時は各地の特産品も税の一部で、土佐といえばカツオ、だったのかもしれない。ちなみに、同じ土佐からの税には「鯖」(サバ)、「年魚」(アユ)なども記されており、1,000年後の現在、これらを高知の特産品と言われてもほとんど違和感はない。
「延喜式」以前になると高知とカツオを結びつける直接的な証拠が見当たらない。9世紀までの高知ではカツオを獲っていなかったのだろうか。
高知と同じく黒潮に面した和歌山では、古墳時代(5世紀)の磯間岩陰遺跡や西庄遺跡からカツオの骨やカツオ釣り用の釣針が出土しており、この時代にカツオを獲って食べていたことが確実である。
釣針は長さ6cm程度で、鹿の角を削って軸と鉤状の針をつくり出す。軸には魚や動物の皮などを巻きつけた痕跡があり、擬似針(ぎじばり)と推定されている。擬似針とは、本来魚が食べないものを餌とした釣針で、現在のカツオ釣り漁でも用いられる。
(イラスト:北川拓未さん)
再び平安時代の「延喜式」を開いて紀伊(和歌山)の項を見ると、いくつかの品目とともに「堅魚」が挙げられている。カツオは日本列島沖の太平洋を回遊するため、高知、和歌山といった沿岸各地でカツオが特産品だったのは理解しやすい。であれば、和歌山でカツオ漁が行われていた古墳時代や、その後の飛鳥時代(6~7世紀)に高知でもカツオを獲っている可能性は十分にある。
(イラスト:北川拓未さん)
高知の遺跡から鹿角製の精巧な擬似針が出土し、9世紀以前のカツオ漁の姿が明らかになる日は、そう遠くないように思う。
(四国食べる通信 | 食が届く情報誌 2014年5月号「1000年前のカツオ漁」を一部改変。)