讃岐の海を舞台にした悪魚退治伝説 1

香川の海には、2つの小さな円錐形の島が並ぶ場所がある。

2つの島は大槌島(おおづちじま)と小槌島(こづちじま)、大槌島と小槌島を門に見立てて、両島の間を槌の門(つちのと)という。

槌の門には暴れる大きな魚「悪魚」が現れ、悪魚を「讃留霊王(さるれいおう)」が退治するという伝説がある。

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(槌の門。左が大槌島、右が小槌島)

 

この伝説は「悪魚退治伝説」、「讃留霊王伝説」などと呼ばれ、中世から近世にかけての史料にしばしば登場する。以下、それらの史料 をもとに悪魚退治伝説を意訳する。

 

 

3世紀、四国の海に鰐のような姿をした大きな悪魚がいた。悪魚は船を飲み込み、人々を食べた。また、船が転覆するため諸国から都へ運ばれるはずの税が海の中へと消えていった。

天皇は兵士を派遣したものの、兵士たちはことごとく悪魚に食べられてしまった。

天皇が息子であるヤマトタケルに悪魚退治を命じたところ、ヤマトタケルは15歳になる自分の息子・霊公を推した。天皇はただちに霊公に悪魚退治を命じた。

 

悪魚は讃岐(現・香川県)の槌の門(つちのと)に現れ、船や積んでいた税を飲み込み、人々を食べた。霊公は軍船をつくって1,000人の兵士を集め、船を漕いで悪魚へと立ち向かうが、大口を開けた悪魚に飲み込まれてしまった。

兵士は悪魚の胎内で酔って倒れたが、霊公は胎内から火を焚いて悪魚を焼き殺し、剣を振るって肉を裂き、胎外へ脱出した。

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 (『金毘羅参詣名所図会』) 

 

悪魚の死体は福江の浜へと流れ着いた。

そこへ1人の童子の姿をした横潮明神が現れ、瓶に入った水を霊公に手渡した。霊公がこの水を飲んでみるとあまりにも美味だったため、「この水はどこにあるのか」と尋ねると、横潮明神は「八十場(やそば)の水です」と答えた。霊公は「早く私をそこに連れて行って欲しい。そしてその水を兵士たちに飲ませ、元気にさせてやりたい」と言った。

霊公は八十場で水をくみ、悪魚の死体を破り、兵士に水を飲ませた。すると兵士達はすぐに目を覚ました。

 

以後、船は安全に航行できるようになった。

霊公は讃岐の国を治めることになり、兵士たちから讃留霊王と呼ばれた。

 

 

悪魚退治伝説に登場する場所は、海や海岸に集中する。

 

(讃岐の海を舞台にした悪魚退治伝説 2 に続く)

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参考文献

乗松真也 2012「「悪魚退治伝説」にみる阿野郡沿岸地域と福江の重要性」香川県埋蔵文化財センター研究紀要』8