旅の目的地・道後温泉に建てた石碑

湧き出る湯が古くから知られ、年間100万人以上が訪れる観光地*1道後温泉愛媛県松山市)。

今から100年前の大正期にも道後温泉は旅の目的地だった。そのことを示す石碑が道後公園に残されている。

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道後温泉本館

 

道後公園

 道後公園道後温泉本館から300mほど南にある。

1888年(明治21)に愛媛県道後公園として整備され、1953〜87年(昭和28〜62)には県立道後動物園も置かれていた。 

中世に築かれた湯築城(ゆづきじょう)の跡でもあり、公園を取り囲む堀や土塁、見晴らしのよい小高い丘陵は湯築城跡の遺構である。

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道後公園

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(公園中央の丘陵には展望台が設置されている)

 

湯釜薬師と大阪探勝わらぢ会の石碑

道後公園の北端にある覆屋の中には、高さ、直径ともに150cmあまりの円筒形の石造物が据えられている。

湯釜薬師と呼ばれるこの石造物は、道後温泉の湯口にあったもので、1894年(明治27)まで使用されていたという。f:id:norimatsu4:20151123214254j:plain 

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(湯釜薬師)

 

湯釜薬師に向かって左手前には小さな角柱の石碑がひっそりと建つ。

石碑には「湯釜薬師」「大正八年四月九日 大阪探勝わらぢ会」と刻まれている。

大阪探勝わらぢ会は1906年(明治39)ころに発足した大阪の地図出版社経営者主催の旅行団体で*2女木島(めぎじま 香川県高松市)にも石碑を建てているf:id:norimatsu4:20151123214308j:plain

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 (大阪探勝わらぢ会の石碑)

 

旅の目的地としての道後温泉

各地に石碑を設置した大阪探勝わらぢ会にとって、石碑とは到達すべき目的地のモニュメントだったのかもしれない。

とすれば、石碑を建てた大正8年(1919)には湯釜薬師=道後温泉が旅の目的地になっていたといえる。

船舶を利用した瀬戸内海の旅行が盛んになる明治後期以降、道後温泉も観光地として認識されており、道後温泉が大阪探勝わらぢ会の旅行先のひとつとなっていても不思議ではない。

f:id:norimatsu4:20140812161235j:plain(大阪・神戸発、道後温泉を経由する瀬戸内海周遊旅行の案内。昭和初期か[高松市歴史資料館蔵])

 

なお、円形に加工された石碑の上端には「東西南北」の方位がある。

地図を見ながら、または頭の中で地図を思い浮かべながら旅行をするようになったことを示唆するのだろうか。

現在でも観光地の看板などに方位が示されているケースはまま見受けられるが、それはおそらく明治〜大正期の石碑にルーツを求められる。

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(石碑の天井部分に刻まれた「東西南北」) 

 

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