鬼が島となった女木島と鷲ヶ峰貝塚の発見

鮮やかなブルーの海を背景に、起伏のある島が描かれる。山頂にはぴんと張った旗が誇らしげに立つ。島にいる鬼や子供はどこかコミカルだ。「鬼ヶ島」と題されたこのフライヤーは1937年(昭和12)に大阪商船(※)が発行したもの。旗に入っているのは大阪商船のロゴである。

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(上:表面 下:裏面 高松市歴史資料館蔵)

 

「鬼ヶ島」は女木島(めぎじま 香川県高松市)を指している。

香川県内の小学校教員であった橋本仙太郎は1930年(昭和5)、新聞「四国民報」夕刊に記事を連載した。タイトルは「童話「桃太郎」の発祥地は讃岐の鬼無」である。この連載記事で橋本は、地名と桃太郎の内容を関連付けて鬼無(きなし 現・高松市鬼無町)とその周辺を桃太郎の舞台と唱えた。

そして鬼が島は女木島だと述べた。女木島の鷲ヶ峰(わしがみね)山頂には人工の洞窟があり、橋本はこの洞窟を鬼が立てこもった城と見立てたのである。

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(橋本仙太郎)

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(女木島の鷲ヶ峰)

 

新聞発表の翌年には「日本一桃太郎発祥地鬼無と鬼ヶ島」というパンフレットを全国に配布したらしい。鬼が島となった女木島は一躍観光地となり、多くの人が島を訪れるようになった。

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(昭和初期の絵はがき 上:女木島の洞窟 下:高松港から望む女木島 高松市歴史資料館蔵)

 

西日本の航路を多く抱えていた大阪商船は関西圏の人たちを女木島への旅行に駆り立てた。旅行ブームでもあった昭和初期のフライヤーには、女木島を大きく宣伝するものや、大阪・神戸港発着で道後温泉愛媛県松山市)や宮島(広島県廿日市市)と併せて女木島を訪ねるプランを掲載するものがある。瀬戸内海の船旅で訪れやすい女木島は大阪商船にとって絶好の目的地のひとつだったのだろう。

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(1938年のフライヤー 女木島と本島[香川県丸亀市]を巡る旅程 上:表面 下:裏面 高松市歴史資料館蔵)

 

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(昭和初期のフライヤー 瀬戸内海周遊コースに女木島が組み込まれている 高松市歴史資料館蔵)

 

「鬼ヶ島大洞窟」として現在も入洞可能な洞窟の入口そばには、小さな石碑が建っている。

石碑には「桃太郎古蹟 鬼ヶ島大洞窟」「昭和六年十月建立 大阪探勝わらぢ会」とある。大阪探勝わらぢ会は1906年(明治39)ころに発足した大阪の地図出版社経営者主催の旅行団体で、同様の石碑を道後温泉や鞆(広島県福山市)などに建てている(小川 功2013)。いずれも会で訪れた観光地と思われ、女木島のもそのひとつということになる。

大阪商船のフライヤーも合わせて考えると、関西では女木島が観光地として認識されていたことがわかる。

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(洞窟)

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(大阪探勝わらぢ会の石碑)

 

鬼が島としての観光地化にあたり、1931~32年には女木島に鬼ヶ島遊園地株式会社が設立された。同社は展望台などを整備、温泉旅館の経営なども視野に入れていたようだ。

1931年ころ、展望台整備に際して鷲ヶ峰山頂では弥生時代中期後半(紀元前1世紀)の遺跡・鷲ヶ峰貝塚が発見された。貝殻や弥生土器、石器と推測されるサヌカイトが出土した鷲ヶ峰貝塚は標高216mの眺望にすぐれた場所にある(新海 功1935)。

弥生時代中期後半の瀬戸内海沿岸では、鷲ヶ峰貝塚同様、山頂付近に位置する遺跡がいくつもある。これらの遺跡は1950年代以降、「高地性集落」と呼ばれて議論され、鷲ヶ峰貝塚もその一端を担った(小野忠熈編1979)。

 

橋本が取り組んだ桃太郎と鬼が島の研究は、女木島の観光開発を進め、結果的に弥生時代研究の資料を提供することになったのである。

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(昭和初期の絵はがきになった鷲ヶ峰貝塚 高松市歴史資料館蔵)

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 (鷲ヶ峰山頂からの眺め)

 

※ 大阪商船の当時の状況は、橋爪紳也(2014)による。

 

小川 功 2013「京都探勝会等に見る旅行愛好団体の生成と限界 地域・コミュニティが生み出した明治期の観光デザイナーたち」『彦根論叢』396

小野忠熈編 1979『高地性集落跡の研究』学生社

新海 功 1935「讃岐国女木島鷲ヶ峰貝塚小報」『人類学雑誌』48-1

橋爪紳也 2014『瀬戸内海モダニズム周遊』芸術新聞社

 

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