2013-01-01から1年間の記事一覧

津和地島の蛸壺漁

「最初はこの壺で本当にタコが入るんかどうか心配しよったけどな」 津和地島(つわじじま)の漁師、鴻池さんは45年前を述懐する。 津和地島では主に安芸津(あきつ)から蛸壺を仕入れていたが*1、1967〜69年ころ、風早からの調達が難しくなり鴻池さんは別の…

野忽那島の蛸壺漁

「僕は陶器を使うことが多かったんで。プラスチックはセメントを入れんと使えんのですよ。プラスチックはフジツボがついても掃除もしにくいんですよ。」 蛸壺漁に使う蛸壺には陶器のものとプラスチック製のものがある。野忽那島(のぐつなじま 愛媛県松山市…

高見島の除虫菊栽培 2

前回の記事 高見島の除虫菊栽培1 高見島(たかみじま)の段々畑に広がっていた除虫菊の白い花。その生産量はどれほどだったのか。 (除虫菊の花が咲く高見島 1950~60年代) 次のグラフは1954年(昭和29)の香川県における市町村別の収穫量を表している。 (…

高見島の除虫菊栽培 1

「あたかも白雪に覆われたようになり、その景色は実に見事なものであった」 『多度津町史』では除虫菊の花で満開の高見島(たかみじま)をこう表現している。 白い花を咲かせる除虫菊は明治元年(1968~69)に日本に持ち込まれ、殺虫剤や蚊取り線香の原料と…

女木島の大祭りと直島、男木島

掛け声とともに独特のリズムで太鼓を叩く4人の子ども。太鼓乗りと呼ばれる子どもたちは、それぞれ赤い投頭巾(なげずきん)を被り、色とりどりの襷を長く垂らしている。太鼓乗りが腰かける櫓は、長いかき棒を担ぐ20~30人の男性に支えられる。 (女木島の大…

小豆島、坂手の龍とイワシ漁

小豆島(しょうどしま)の洞雲山(どううんざん)に岩場を削ってつくられた階段がある。 大人一人が歩ける程度の幅しかない階段を登ると、岩の割れ目に置かれた小さな社が見えてくる。 ここに祀られているのが八大龍王だ。 八大龍王とは釈迦の説法を聞いた8…

男木島の舞台と公民館

男木島(おぎじま)の港に降り立ち、前方やや左手に少し歩いたところに白い壁の南北に長い建物があった。 外から島を訪れた人の多くはこの建物に関心が向かうようだった― (白い壁の建物 2009年) この建物は、もともとは公民館として利用されていた。 内部…

江戸時代に賞賛された小豆島、隼山からの眺め

「山水の美観言語に絶せり。されば当山の勝地なることは、遠近に聞へて其名高し。」 江戸末期に編まれた「小豆島名所図会(しょうどしまめいしょずえ)」に、言葉で言い表せないほど美しく有名、と解説されている隼山(はやぶさやま)からの眺め。 解説文の…

小豆島、旧山吉醤油に建つ石碑

小豆島(しょうどしま)の馬木(うまき)に立派な家と醤油蔵が残されている。 かつて、ここでは山吉醤油(やまきちしょうゆ)の屋号を冠して醤油を生産していた。 旧山吉醤油の敷地内には2mを優に超える石碑が建つ。 「彰功之碑」と題されたこの石碑には次の…

男木島の牛飼い

男木島(おぎじま)には、かつて牛舎として使用された建物が残っている。 現在、島で牛を見かけることはできないが― (牛舎として使われていた建物) 戦後間もない頃のこと。 男木島の子どもたちは、朝、家にいる牛を牧場に連れて行った。 牧場での餌は子ど…

喜兵衛島の製塩

砂浜を歩くと薄いビスケットのようなかけらが目に入る。 直島(なおしま)諸島の無人島、喜兵衛島(きへいじま)の浜に落ちているのは6〜7世紀(古墳〜飛鳥時代)の製塩土器の破片だ。 製塩土器とは塩づくりに使う土器のこと。 西日本では紀元前1世紀(弥生…

シーボルトが見た蛸壺漁

1826年、瀬戸内海を航行したシーボルトは日比(ひび)で見た漁法に興味を覚えた。著書『日本』には次のように記されている。 「海岸でわれわれは、イカを捕る巧妙な技法をみた。漁師は長いワラ縄にバイ貝の一種の大きな貝を並べてつけ、これを海中に入れる。…