室戸岬と小豆島に建つ大阪旅行クラブの石碑

四国南東端、室戸岬(高知県室戸市)に建つ「日本八景 室戸岬」の石碑。 大阪旅行クラブの石碑 室戸岬は、独特の奇岩とアコウなどの亜熱帯性植物が織り成す景観で観光地となっている。 1927年(昭和2)、東京日日新聞と大阪毎日新聞の主催で「日本八景」が選…

多度津の蛸壺生産

かつて栗林公園(香川県高松市)で土産物として販売されていた大小の蛸壺。口縁部に黒い麻紐も巻かれている。 いずれも香川県多度津町(たどつちょう)東白方(ひがししらかた)の蛸壺生産者の手によるものだ。 多度津では1990年ころまで蛸壺を生産していた…

寒霞渓を訪れた旅行団体と登山記念の石碑

あらゆる方向の眺めがよい、という意味の四眺頂。小豆島・寒霞渓(かんかけい 香川県小豆島町)の登山道を登りきった場所は、そう呼ばれている。 大阪探勝わらじ会が建てた石碑 四眺頂はロープウェイが整備される以前の頂上で、今でも表ルートの登山道*1の一…

江戸時代に描かれた寒霞渓の風景

晩秋、紅葉を求めて多くの人が訪れる小豆島の寒霞渓(かんかけい 香川県小豆島町)。 中腹からの頂上までの2本の登山道沿いには奇岩を中心とした名所が設定されており、それぞれ、表十二景、裏八景と呼ばれている。すなわち、表ルートに12か所、裏に8か所の…

旅の目的地・道後温泉に建てた石碑

湧き出る湯が古くから知られ、年間100万人以上が訪れる観光地*1、道後温泉(愛媛県松山市)。 今から100年前の大正期にも道後温泉は旅の目的地だった。そのことを示す石碑が道後公園に残されている。 (道後温泉本館) 道後公園 道後公園は道後温泉本館から3…

時代を超えた出来事が交わる大野原の秋祭り

舞い上がる砂ぼこりのなか、ダンジリ(山車)が坂道を駆け上がる。頂上に達すると、集まった大勢の観客の拍手が起こる。 (ダンジリ) 大野原(おおのはら 香川県観音寺市)の秋祭りには2台のダンジリと14台のチョウサが出る。 ダンジリとは破風屋根を持ち、下部…

小手島の蛸壺漁

人口39人*1の島に5,000個を超える蛸壺。 蛸壺漁が解禁される5月になると小手島(おてしま・香川県丸亀市)の港には多くの蛸壺が並ぶ。 そのほとんどは船具屋から仕入れる樹脂製の蛸壺である。 (所有者がわかるようにカラーリングが施された蛸壺) それでも…

讃岐の海を舞台にした悪魚退治伝説 2

(前回の記事) <a href="http://snn.hatenablog.com/entry/2015/04/16/212239" data-mce-href="http://snn.hatenablog.com/entry/2015/04/16/212239">讃岐の海を舞台にした悪魚退治伝説 1 -…

讃岐の海を舞台にした悪魚退治伝説 1

香川の海には、2つの小さな円錐形の島が並ぶ場所がある。 2つの島は大槌島(おおづちじま)と小槌島(こづちじま)、大槌島と小槌島を門に見立てて、両島の間を槌の門(つちのと)という。 槌の門には暴れる大きな魚「悪魚」が現れ、悪魚を「讃留霊王(さる…

牟礼・庵治で使われていた石工用具

およそ80年前に撮影された道いっぱいの人でにぎわう写真。 場所は東讃電気軌道(現・高松琴平電気鉄道)八栗駅前、奥に見えるのは五剣山(香川県高松市)である。 五剣山周辺は良質な花崗岩・庵治石(あじいし)を産出し、地元の牟礼(むれ)・庵治では石の…

高知のカツオ漁はいつから?

古来、カツオは高知の名産である。 平安時代の百科事典「延喜式(えんぎしき)」(10世紀)には、各地から納める税の品目が列挙されており、土佐(高知)の項には「堅魚」の文字が見える。「堅魚」とはカツオのことである。 当時は各地の特産品も税の一部で…

安芸津の蛸壺生産

道路沿いに突如現れるレンガ積の構造物。ドーム状の天井をもつ部屋が階段状に10房連結し、側面には太い鉄管が通る。下から上まで20mはあるだろうか。 安芸津(あきつ 広島県東広島市)に所在するこの構造物は福原製陶の登り窯である。福原製陶は一度に6,000…

鬼が島となった女木島と鷲ヶ峰貝塚の発見

鮮やかなブルーの海を背景に、起伏のある島が描かれる。山頂にはぴんと張った旗が誇らしげに立つ。島にいる鬼や子供はどこかコミカルだ。「鬼ヶ島」と題されたこのフライヤーは1937年(昭和12)に大阪商船(※)が発行したもの。旗に入っているのは大阪商船の…

二見で使われる宇多津産蛸壺

大規模な漁港を抱える二見(ふたみ 兵庫県明石市)。 幕末に港湾施設が整備され、それを顕彰する「二見浦築港記念碑」が建っている。 蛸壺漁が盛んな地らしく、港では数多くの蛸壺を見かけることができる。 プラスチック製のもの、塩化ビニル管を加工したも…

小豆島の水車と製粉、素麺生産

小豆島最大の川、伝法川(でんぽうがわ)とその支流、殿川(とのがわ)沿いには錆に覆われた大きな鉄の輪があちこちに残る。 年月を経た輪は、昭和30年代まで(1960年前後)この地で活躍した水車の残骸だ。 水車は川から引いた水の流れで回っていた。水車の…

宇多津の蛸壺生産

回転する粘土から次々に壺が生み出されていく。これらはやがて蛸壺となって遠く離れた漁師の手に渡り、海の中で活躍することになる。 香川のほぼ中央、宇多津町の鍋谷(なべや)では蛸壺をつくっていた。 祖父の代からこの地で蛸壺屋を営んでいたという藤原…

青島の井戸

青島(あおしま 愛媛県大洲市)の港に降り立つと、何十匹ものネコの出迎えを受ける。 ネコを目で追いかけていると、定期船から桟橋を伝ってホースが伸びていることに気づく。 くすんだ灰色のこのホース、直径10cm程度と頼りなさそうに見えるが、島の飲料水を…

シーボルトが訪れた与島のドック

幕末に日本に滞在したドイツ人、シーボルトは瀬戸内海の航行途中に与島(よしま 現・坂出市)を訪れた。 著書『日本』には、与島に船を修理するドックがあったと記されている。 「ドクトル・ビュルガーと私は一艘の舟で与島に渡り、塩飽というたいへん好まし…

小豆島のトンド

高さ数メートルにもなる小豆島のトンド。 トンドは松や竹、バベ(ウバメガシ)などを組んだもので、1月中旬の早朝、正月に飾ったしめ飾りなどととも炎に包まれる。 かつての小豆島では、トンドを男の子の行事として位置づけていた。 男の子だけで山に入って…

津和地島の蛸壺漁

「最初はこの壺で本当にタコが入るんかどうか心配しよったけどな」 津和地島(つわじじま)の漁師、鴻池さんは45年前を述懐する。 津和地島では主に安芸津(あきつ)から蛸壺を仕入れていたが*1、1967〜69年ころ、風早からの調達が難しくなり鴻池さんは別の…

野忽那島の蛸壺漁

「僕は陶器を使うことが多かったんで。プラスチックはセメントを入れんと使えんのですよ。プラスチックはフジツボがついても掃除もしにくいんですよ。」 蛸壺漁に使う蛸壺には陶器のものとプラスチック製のものがある。野忽那島(のぐつなじま 愛媛県松山市…

高見島の除虫菊栽培 2

前回の記事 高見島の除虫菊栽培1 高見島(たかみじま)の段々畑に広がっていた除虫菊の白い花。その生産量はどれほどだったのか。 (除虫菊の花が咲く高見島 1950~60年代) 次のグラフは1954年(昭和29)の香川県における市町村別の収穫量を表している。 (…

高見島の除虫菊栽培 1

「あたかも白雪に覆われたようになり、その景色は実に見事なものであった」 『多度津町史』では除虫菊の花で満開の高見島(たかみじま)をこう表現している。 白い花を咲かせる除虫菊は明治元年(1968~69)に日本に持ち込まれ、殺虫剤や蚊取り線香の原料と…

女木島の大祭りと直島、男木島

掛け声とともに独特のリズムで太鼓を叩く4人の子ども。太鼓乗りと呼ばれる子どもたちは、それぞれ赤い投頭巾(なげずきん)を被り、色とりどりの襷を長く垂らしている。太鼓乗りが腰かける櫓は、長いかき棒を担ぐ20~30人の男性に支えられる。 (女木島の大…

小豆島、坂手の龍とイワシ漁

小豆島(しょうどしま)の洞雲山(どううんざん)に岩場を削ってつくられた階段がある。 大人一人が歩ける程度の幅しかない階段を登ると、岩の割れ目に置かれた小さな社が見えてくる。 ここに祀られているのが八大龍王だ。 八大龍王とは釈迦の説法を聞いた8…

男木島の舞台と公民館

男木島(おぎじま)の港に降り立ち、前方やや左手に少し歩いたところに白い壁の南北に長い建物があった。 外から島を訪れた人の多くはこの建物に関心が向かうようだった― (白い壁の建物 2009年) この建物は、もともとは公民館として利用されていた。 内部…

江戸時代に賞賛された小豆島、隼山からの眺め

「山水の美観言語に絶せり。されば当山の勝地なることは、遠近に聞へて其名高し。」 江戸末期に編まれた「小豆島名所図会(しょうどしまめいしょずえ)」に、言葉で言い表せないほど美しく有名、と解説されている隼山(はやぶさやま)からの眺め。 解説文の…

小豆島、旧山吉醤油に建つ石碑

小豆島(しょうどしま)の馬木(うまき)に立派な家と醤油蔵が残されている。 かつて、ここでは山吉醤油(やまきちしょうゆ)の屋号を冠して醤油を生産していた。 旧山吉醤油の敷地内には2mを優に超える石碑が建つ。 「彰功之碑」と題されたこの石碑には次の…

男木島の牛飼い

男木島(おぎじま)には、かつて牛舎として使用された建物が残っている。 現在、島で牛を見かけることはできないが― (牛舎として使われていた建物) 戦後間もない頃のこと。 男木島の子どもたちは、朝、家にいる牛を牧場に連れて行った。 牧場での餌は子ど…

喜兵衛島の製塩

砂浜を歩くと薄いビスケットのようなかけらが目に入る。 直島(なおしま)諸島の無人島、喜兵衛島(きへいじま)の浜に落ちているのは6〜7世紀(古墳〜飛鳥時代)の製塩土器の破片だ。 製塩土器とは塩づくりに使う土器のこと。 西日本では紀元前1世紀(弥生…