津和地島の蛸壺漁

「最初はこの壺で本当にタコが入るんかどうか心配しよったけどな」

津和地島(つわじじま)の漁師、鴻池さんは45年前を述懐する。

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津和地島では主に安芸津(あきつ)から蛸壺を仕入れていたが*1、1967〜69年ころ、風早からの調達が難しくなり鴻池さんは別の仕入先を探すことになった。

それまで使っていた蛸壺を持って、当時蛸壺をつくっていた多度津(たどつ)へ向かうが、目的とする人に会えなかった。

 

仕方なく、噂に聞いていた宇多津(うたづ)へと足を伸ばし、蛸壺を製作している藤原さんをたずねた。

安芸津の蛸壺は外面だけに釉(うわぐすり)がかかっており、鴻池さんたちは安芸津産と同じような蛸壺を藤原さんに求めたが、それは叶わなかった。

釉を外面にだけ塗るのは手間がかかるからだ。

 

結局、蛸壺を釉に沈めるだけでできる、内外面ともに釉のかかった蛸壺を購入することになった。

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鴻池さんは内側に釉のある蛸壺にタコが入るかどうか不安だった。

ところが、実際に使ってみると、漁に支障はないうえ蛸壺の内外面にカキ殻が付きにくく、掃除をあまりしなくてもいいというメリットもあった。

 

それからは津和地島の他の漁師も鍋谷の蛸壺を買うようになり、島の漁協が取りまとめて発注、購入した。

当初は渡海船で宇多津まで出かけて蛸壺を買っていた。夕方島を出て、翌朝宇多津に着いて港で蛸壺を積み込み、また島に戻る、という具合である。

しばらくして鍋谷からトラックで蛸壺が運ばれるようになり、船で宇多津にまで出向くことはなくなった。

 

また、近くにある二神島(ふたがみじま)で蛸壺の仕入れが難しくなった際、鴻池さんたちの紹介によって宇多津蛸壺の使用が二神島にも広がることとなった。

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津和地島のタコの漁期は11月中旬から9月中旬までだ。

島の前面に広がる洲(浅瀬)はイカナゴなどの漁場であるため、蛸壺漁の漁場は島の裏側になる。

タコが豊富で蛸壺漁の漁師が多くいた10年ころ前までは、毎年の漁場をくじ引きで決めた。

ある人は山口県境付近がもっとも多く獲れたという。

津和地島では1本のロープに200個くらいの蛸壺を付けて何本ものロープを沈める。

 

プラスチックの蛸壺もあるが、津和地島の漁師は陶器の蛸壺を使う。

漁場の海底が岩場の津和地島では、陶器のほうが海底で安定するからだという。

釉がカキ殻の付着を防ぐためか、メンテナンスが容易というのも陶器製を使う理由になっている。  

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*1:宇多津から購入する前、安芸津のほかに多度津から仕入れていた人もいる。