シーボルトが見た蛸壺漁
1826年、瀬戸内海を航行したシーボルトは日比(ひび)で見た漁法に興味を覚えた。
著書『日本』には次のように記されている。
「海岸でわれわれは、イカを捕る巧妙な技法をみた。
漁師は長いワラ縄にバイ貝の一種の大きな貝を並べてつけ、これを海中に入れる。
イカ類、ここでは八足類の一種(日本語のタコ)は、こうした貝の家を捜しあるき、本能的にその中にはいる。
縄を引き上げると、その動きにつれて、避難所と思い込んでますますしっかりと巣に入り込んでしまって、捕まってしまう。」(斉藤信訳1978)
「バイ貝の一種の大きな貝」はアカニシなどの巻貝の殻を指しているのだろう。
この貝殻を、縄にいくつも取り付けて海に沈める。
アカニシ殻に入るのはイイダコである。イイダコは体長が20cm程度とマダコに比べてかなり小さく、産卵期のメスは胴部に飯粒のような卵をもつ。
アカニシ殻を海の中から引き上げて、殻の中に入っているイイダコを捕る。
すなわち貝殻は蛸壺であり、シーボルトの目に留まったのはイイダコを捕る蛸壺漁だったと思われる。
なお、1799年刊行の図鑑『日本山海名産図会』に描かれたイイダコ漁の場面でも、アカニシのような大きな巻貝の殻を使っている。
一方、タコ(マダコか)漁の蛸壺はやきものとして描かれている。少なくとも江戸時代後期の瀬戸内東部では、貝殻の蛸壺でイイダコを捕るのが一般的だったようだ。
岡山・香川両県にまたがる備讃瀬戸では江戸時代以降もイイダコを捕っている。
ただ、蛸壺による漁は減少し、蛸壺漁であっても貝殻に代わってプラスチックややきもの、空き缶などを用いる場合も少なくない。
イイダコ漁の方法や道具が変化するなか、ロープに結び付けられた大量のアカニシ殻を見かける島がある。
高見島(たかみじま)だ。
この島では今でもシーボルトが見たような漁法でイイダコを捕っている。
斉藤信 訳 1978「1826年の江戸参府紀行(1)」『シーボルト『日本』』雄松堂書店
ひょうご歴史の道 〜江戸時代の旅と名所〜 (『日本山海名産図会』のイイダコ漁の図)
loopto x setouchi-kurashi » 1000年前の忘れ物 (小豆島で行われていた蛸壺によるイイダコ漁)
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