讃岐の海を舞台にした悪魚退治伝説 2
(前回の記事)
槌の門(つちのと)に現れた悪魚を讃留霊王(さるれいおう)が倒す悪魚退治伝説。
香川・岡山県境の大槌島(おおづちじま)と小槌島(こづちじま)周辺の海は、槌の門と呼ばれる。特徴的な形状の両島を門柱に見立てたのだろう。
(槌の門)
今でこそ海岸線から離れているが、それは江戸時代以降の埋め立て(塩田開発や港湾整備)による。それ以前の福江は海浜間際で、悪魚の漂着もありうる地形だった。
(福江)
付近には悪魚を祀ったとされる「魚御堂(うおのみどう)」があった。
この堂は取り壊されたが、その代わりに「魚御堂趾碑」が建てられた。この石碑は現在の坂出高校の敷地内にある。
(坂出高校に建つ「魚御堂趾碑」)
倒れた兵士を救うため、讃留霊王と童子が水を汲みに向かった八十場(やそば 香川県坂出市西庄町)では水が湧き出ている。八十場は、江戸時代には湧水の名所で、ところてんやすいかを売る店が立つなど、旅人の休憩地にもなっていた。
(八十場の湧水)
伝説に登場する場所はいずれも海と海岸から近い場所で、現在の坂出市東部を中心とする。坂出市東部は江戸時代以前には阿野(あや)郡と呼ばれていた。
伝説が成立し、伝えられてきたのには理由があるはずだ。伝説に登場する場所からは、阿野郡の海岸近くにゆかりのある人々によって悪魚退治伝説(またはその祖型)が生み出され、多少の改変を経ながら後に伝えられたとみられる。
さらに踏み込めば、悪魚が流れ着き、讃留霊王が上陸する重要イベントの発生地である福江を基盤とした人々の伝説といえるかもしれない。
参考文献
乗松真也 2012「「悪魚退治伝説」にみる阿野郡沿岸地域と福江の重要性」『香川県埋蔵文化財センター研究紀要』8